冬木さんの洞窟

2004-11-05

[]最初に意識した『異世界』


と~ってもお久しぶりです。皆様の記事にコメントをつけるだけで満足していて、ふと気づくと自分の日記を丸3ヶ月も書いていませんでした!

あまりにも久しぶりで、いざ書こうとしたら、はてなダイアリーの使い方をすっかり忘れてしまってました……(^^ゞ


有沢さんゆめのさん瀬戸見さんがお話している、最初に『異世界』を意識して読んだ話という話題にまざりに来ました。

私は、ライトノベルや漫画に接する前に、とても長いこと、児童文学系ファンタジーにどっぷりと親しんできたので、そっち方面からのアプローチになります。


私が最初に『異世界』を意識して読んだ本は、覚えていませんが、あえていうなら『ナルニア』かなと思います。

だとすると、小学校の6年生の時でしょうか。


それまでも私は児童文学のファンタジーをたくさん読んでいたはずで、異世界が舞台のものも、きっとあったと思いますが、有沢さん同様、それが『異世界』であるという意識は、あまり無かった気がします。


そもそも、幼年向けの児童文学では、通常、幻想の世界は現実の世界と地続きであり、この世界とは別のところに異世界があるのではなく現実の世界に空想の世界がオーバーラップするものが多いと思います。

現実と空想の区別の無い幼児期の心の世界がそのまま描かれているのですね。


例えば、子供たちは、自分の家の前をどんどん歩いていくだけで、いつのまにか、や山などの異界に入り込んでいきます。

すると、そこには、言葉を話す動物たちやオバケや鬼や妖精たちがいるのです。

けれど、子供たちはそれを、単なる場所の移動と認識していて、自分が異世界に行ってきたなどとは思っていません。

子供たちの認識では、や山奥の異界は、今、自分がいるこの世界の別の場所に、ちゃんと存在しているのです。


その感覚は、昔話の中の隠れ里訪問と似ていると思います。

『おむすびころりん』や『したきりすずめ』のおじいさんや、『見るなの座敷』の若者が訪れる、ネズミの国やすずめのお宿、うぐいすの屋敷みたいなものです。


または、場所を移動しなくても、今いるその場所が、ごく自然に、スムーズに不思議の世界に移行してしまうことも、幼年児童文学では当たり前のことです。

対象年齢が低くなればなるほど、それは、より当たり前になり、むしろ、そうでないもののほうが珍しくなります。


たとえば、幼児向け絵本の中では、動物が口を利いたり二本足で歩いたりするのは当然のことで、もちろん現実にはそんな動物はいないわけですが、読むほうは、普通、それをいちいち疑問に思い、『現実にはありえないそんなことが起こるんだから、そこは異世界だ』などとは思いません。

子供の夢の世界は現実の世界と常に重なり合って、裏になったり表になったりと、あいまいに揺らぎ続けており、何の前ぶれも無く簡単に入れ替わり、裏返るのです。


そういう幻想世界は、『異世界』ではなく、子供の夢の国、精神世界、インナースペースなのです。

そこは、その子供が訪れることによって初めて存在し、動き出す世界です。

子供がそこを訪れていない時は、その世界は、たぶん、存在しないのです。

あるいは、存在していても、時が止ったように凍結しているのです。

あるいは、動いていても、日常のルーチンを繰り返しているだけで、変化はしないのです。


ところが、『ナルニア』には、そういう、『子供の夢の国』『空想の世界』でない、確固たる別世界があったのです!


洋服ダンスの奥を進んでいくと異世界に出るという『ライオンと魔女』の異世界への道程は、押し入れが異世界への通路となる古田足日の『おしいれのぼうけん』や松谷みよ子の『モモちゃん』シリーズのネズミの王様の話などと良く似ています。

でも、ちいさいモモちゃんが垣間見るネズミの国と、ナルニア国は、違うのです。


なぜ、幼年童話の中のいくつもの夢の国と『ナルニア国』が違うのか。

それは、あの国は主人公たちが訪れていない時にも、ちゃんと存在し、この世界のそれとは違うけれどそれなりに統一性・継続性のある確固たる法則に従って動き続け、日常生活が営まれ、歴史が紡がれているからです。

だから私にとって、『ナルニア』は、こことは別の世界、『異世界』と認識されたのです。


私が出会ったそういう『異世界』は本当に『ナルニア』が最初のものだったのかどうかは、定かではありません。

神沢利子の『銀のほのおの国』のほうが先だったかもしれないし、何か別の異世界召喚ものや、『この世界』が全く出てこない純ハイ・ファンタジーを読んでいたかもしれません。

でも、明らかにそれ以前に読んだと思われる児童文学ファンタジーの数々――例えば『ふらいぱんじいさんのぼうけん』だとか『ドリトル先生』シリーズ、『エルマーとりゅう』、『床下の小人たち』、『木かげの家の小人たち』等々――をつらつらと思い返してみても、純粋な『異世界』はあまり思いつかないのです。

例えば、ドリトル先生が住んでいる『沼のほとりのパドルビー』は、架空の街(たぶん……)ではあるけれど、物語の中ではイギリスのどこかということになっているし、エルマー少年が訪れる『どうぶつ島』も、この世界のどこかの街から海路や空路で行かれる場所であるはずだし、ミス・ビアンカが住んでいる世界にはノルウェイや南極が存在したはず……という具合に。


というわけで、私の最初の異世界は『ナルニア』かなと思います。

『ゲド』や『ホビット』を読んだのはそれより後なので。



[]『異世界=外国』ギワク


書かないときはぜんぜん書かないくせに、書くとなったら話が長い冬木です……。

有沢さんたちのお話を伺っていて思ったのですが、どうやら、私にとっては、『ファンタジーの世界=イギリス(&アイルランド)』だったらしいです。

イギリスにはドリトル先生もいれば魔法使いもドルイドもいるし、王様もお姫様もナイトもいる!(ような気がする……)


ちょうど先日、テレビで、『'70年代中ごろの女の子の憧れの国はイギリスだった』(←なぜキティちゃんはロンドン生まれかという話題から……)と言っていましたが、そういえば、たしかに、私、どっぷりその世代ですよ!

(ついでに、キティちゃんとも、そういえばその誕生以来の、古~いお付き合いですよ。いえ、別にグッズを集めたりしてるわけじゃありませんが)


なかでも、特に、アイルランドとか、ケルト文化圏。

『コーンウォールの聖杯』などに出てくる、不思議な響きの地名、人名。

何もかも魔法の国の言葉のように聞こえて、神秘的で、わくわくしました。


ただ、当時は、何しろ子供だったので、それらの物語の舞台が現実にあるイギリスだのアイルランドという国だったり、そこをモデルにした架空の国だということは、あまり認識していなかったと思います。

そのため、後に、大人になって、色々と本を読んでいたら、「なんだ、あの、昔、私が魔法の国だと思っていた場所は、アイルランドとか、その辺だったのか!」と気づき、目から鱗が落ちる思いでした。


でも、それでその後、私がイギリスやアイルランドの歴史や風俗にすごく興味を持ち、いろいろ本を読み漁るようになった……ということはありません。

もちろん興味はあるんですが、むしろ、あえてあまりそっち方面には触れないようにしているフシがあります。


というのは、ケルト文明についてとっても詳しくなってしまったりすると、ケルト世界が夢の国、魔法の国でなくなってしまうような気がするからです(他の人にとっては別にそんなことはないと思います。あくまで、私にとっては、です)。

私にとって、ドルイドなどがいる世界は現実のイギリスだのアイルランドだのではなく、あくまで神秘の異世界、おとぎの国であって欲しいのです。