冬木さんの洞窟

2004-11-24

[]詩人と長編書き


きんとさん

『歳を取ったおかげで長いまとまった文章が書けるようになった』『両方を得るほど才能はない』というのは、私も同じです!

私も、主に詩を書いていた頃は、自分にはまとまった小説は書けないと思い込んでいました。

確かに当時は書けなかったと思いますが、それだけでなく、その頃は、自分にはそういう才能・適性が無く、一生、長編をきちんと仕上げられることはないだろうと思い込んでいたのです。

が、今にして思えば、そんなことはありませんでした。

ただ、当時はまだ、長編を書きあがる素地・底力が足りなかっただけなのですね。


詩は、とりあえず感性だけで書けますが、長い作品を最後まで書き上げるには、ある程度の創作技法上の腕力(構成力とか文章力とか……)と精神的な基礎体力(根気とか計画性とか長期にわたる情緒の安定とか……)が必要であることが多いと思います。


もちろん、書くもののタイプや、その人の性格や才能のタイプにもよるので一概には言えないし、また、その、長編のための素地を得られる時期かいつ頃かも、その人の成長の速度によって違い、大変早熟な人や天才的な才能を持つ人は最初からきちんと構成された長編が書ける場合もあるでしょうが、普通、きちんと構成された長編を大きな破綻なく完結させることが出来るのは、早い人でも高校生(=十代後半)くらいからじゃないでしょうか?

中には、小中学生で長編を完結させられる人もいるかもしれませんが、それは、よほど早熟なのか、生まれついての天才であるかのどちらかでしょう。

(ちなみに、私の場合、人一倍オクテなので、長編が書けるようになったのは30近くなってからです。)


よく、『詩人は早死にするが小説家は長生きする』と言いますが、これは、詩はいつ死んでもおかしくないようなギリギリの不安定で刹那的な精神状態からこそ生まれやすいもので、小説、特に長編小説は、精神的にも肉体的にも体力と持久力があって一つのことにじっくり取り組める安定した状態でないと完成させ難いものだからではないかと思います。

詩人だから早死にして小説家だから長生きするのではなく、精神的にも肉体的にも長生き出来るような状態の人には長編小説が書けて、早死にするような状態の人には詩が書けるということではないかと……。


詩を書くような精神状態で長編小説を書く人も、いないことはないけれど、それは、命を削るような厳しい作業のではないかと思います。

(失礼ながら、響子さんは、わりとそういうタイプ寄りの書き手のような気がします。そういうギリギリの危ういところから『ロマンチック』を生み出す人なのではないかと。響子さんは、ものを書くとき、霊媒のように、巫女のように、深く自分の中に潜りこんで、そこから何か美しい、光るもの(=ロマンチック)を拾い上げてくる――そんな印象があります。でも、どうぞ、あんまり深く潜りすぎてうっかり命を削らないで下さいね(^_^;))


そして、詩を書く才能と長編を書く才能は決して両立しないものではなく、大人になっても両方が書ける人はもちろんたくさんいます。

老齢の詩人がたいへんみずみずしい詩を書いていることもあれば、優れた大長編と優れた詩を同時期に両方書いている人もいるでしょう。


でも、中には、長編が書けるような安定と体力を手に入れたとき、詩を書くための感性を失ってしまう人もいるでしょう。

全部は失わなくても、半分くらい失ってしまうこともあるでしょう。

私の場合、長編を書く精神的体力を手に入れた時、詩を書くための『危うさ』を半分くらい棄てたような気がします。

天才ならそんなことはないのでしょうが、いかんせん凡人で凡才なので……(^_^;)


でも、詩を書くための危うさを大人になっても持ち続けている永遠の『詩人』である人は、現実社会では、さぞかし生き辛いでしょうね。

だから、詩人は早死にするといわれるのでしょう。


そういうわけで、私は、小説を書き始めてから、あまり詩を書かなくなりました。

脳みその中の、『詩』用の部分より『小説』用の部分のほうが活性化しているらしいです。


もっとも、私の場合、詩も、もともと、自分の心情や幻想をストレートに描いたものよりも、架空の主人公を架空の状況に置いてその心情を表現するという、わりと虚構性の高いストーリー性のある詩が多かったので、自分の中に生まれた物語を詩という形式で書くか小説という形式で書くかの違いのような気もします。今は、生まれてくる物語が小説の形に変換されるようになったから詩にならなくなったらしいです。


なんだか、まとまりがない上に、あんまり幻想と関係ない話でごめんなさい。

それと、メンバーの皆様は分かってくださると思うのですが、念のため、私は別に小説の方が詩より技術的に高度であるとか文学として上等であるとか、あるいはその逆であるとかいうことを言っているのではありませんので、ご理解ください。

ただ、きんとさんが仰るように、それぞれ脳みその使う部分が違うということが言いたかっただけですので……。