ゆめのさんの屋根裏部屋

2004-07-24

[]きんとさん、よろしく

またまた大変ご無沙汰しております。

今度はパソコン関係のトラブルで潜伏を余儀なくされております。新機種を手に入れたため必然的にOSを(MacOS9→Xへと)移行しなくてはならなくなり、まだ完璧とはいいがたい状況ですが、ようやく何となく落ち着いてきました。今度はあまりの暑さに頭の方がついてゆかない状態になりつつあるのが不安ですが、ぼちぼちと復帰してゆければと思っております。


>きんさとん

ご挨拶が遅れましたがよろしくお願いいたします。

冬木さん宅の掲示板のやり取りは興味深く拝見しておりました。考えてみれば、女子高生が異世界へ行く話ってたいてい制服を着てますね。そういう場合はやっぱりヒロインが「女子高生である」ということに何か意味があるんでしょうね。意識的・無意識的にかかわらず。


[]屋根裏部屋は暑い

直射日光を浴びてあつくなった空気が、どんどん屋根裏へと押し寄せてくるような。どこか涼しいところに引っ越したいような気がしてきた…(汗。

この建物って、どこに建ってるんだろう? 静かな湖畔? それとも高原のひんやりとした森の中?

響子響子2004/07/25 22:53夏に屋根裏はたしかに暑そうですね(^_^;)。私的には、霧にけぶる湖畔に立っている感じがしますね(笑)。

moonsongmoonsong2004/07/26 10:18そうでしょう! 夏の間だけでも引っ越そうかな…泉のそばの東屋なんかどうでしょう? 連日の暑さに思考が滞って、考えるのはこんなことばかりです(苦笑。

2004-07-05

[]異世界である理由

異世界へ移動するタイプのファンタジーについて、すこしうろうろと考えてみました。

人間にとって、もっとも身近でもっとも行くことができない異世界というのは、あの世なのではないかと思います。

人はそのうち必ずそこへ行くのだが、現実にはけしてその世界のことを知ることはできない。そのためには死という儀礼を経なければならなくて、それはいったん通ったら引き返すことのできない道であるから。

そのため、人はあの世についていろいろと想像をめぐらせて、その後への恐怖を和らげるために宗教や神話を作ったのかもしれない。

で、なにを言いたいかというと、ファンタジーの異界は、死後の世界のヴァリエーションなのではないかということ。

異世界へと移動する際に登場人物が通る装置は、ある意味で死に通じるものがあるような気がするのです。

実際、死にかけた人物が異世界に行って戻ってくる、というパターンはよくある気がするし、夢落ち、というのも睡眠が毎夜訪れる小さな死であるという説を考えるとうなずける。

異世界へ移動する登場人物が、ほとんど自分の世界に戻ってくるのは、生を肯定する立場からすると当然となるのだろうと思う。行ったきりとはすなわち、死んだままの状態であることを意味するのだから。

最近ではそこまで深刻なことを考えて異世界へ行く主人公たちはほとんどいないと言ってもいいけれど、異界への移動にどれだけの切実さ、深刻さがあるかは、その異世界往還物語にとってのそこが異世界であることの重要度を測るバロメーターとなるのではないかと思う。

たとえば、真実死ぬのとおなじくらい覚悟をして異界へ行く場合、異世界は登場人物にとってはっきりと別の世界だ。

しかし、なんの気負いもなく思い立ったときに気軽にいけて、また戻ってこられるような異世界は、異世界である必然性の薄い、たとえば外国や極端に言えば隣の町であっても交換可能な存在なのではないか。

それがいけない、と言うわけではもちろんないし、そういった話で面白いものもたくさんある。それに隣の町へと移動する体験からファンタジーを書くことももちろんできると思うけれど。

ただ、私はとくにそういうシリアス系の話が好きなので、その理由はなんだろうと考えたところ、なんとなくこんなところにたどりついたわけです。

たぶん、異界への移動=死ということを無意識にでも踏まえた作品には、死生観がきちんと描かれているからではないかとも思います。

なんだか、わけがわからなくなってきましたが、とりあえず締めくくりは「異世界召喚ファンタジーは臨死体験に似ている」ような気がする、ってことかな(^_^;)

臨死体験そのものを扱ったコニー・ウィリス『航路』への、SF畑のひとと異世界往還を読み慣れたファンタジー畑のひとびとの反応の違いは、こういったところから来ているのかもしれない。

2004-06-24

[]挨拶

有沢さん

『活字倶楽部』のことはまったく存じませんでした。最近、冲方丁はあっちでもこっちでも引っ張りだこですねー。写真というとそういえば『SFマガジン』のインタビューで見たような(アン・ジョンファンに似てるんですよね、韓国のサッカー選手の)。

『このライトノベルがすごい!』という有志による企画の中で、「まだ見ぬ地平へ」というタイトルでライトノベルの作品論を書いてるみたいですよ。ご存じでした? 実は私も存在を耳にしているだけで、まだ全然読んでなかったりするんですけど。

『ばいばい、アース』はあの分厚い本(しかも上下二冊;)を真夏に汗だくで読んだことが思い出されますが(笑)、文庫になったらまた買って読んでしまうかも。ものすごく仕掛けの多いお話だったので、ディテールだけを眺めていても楽しめますよね。

2004-06-20

[]ようこそ

冬木さん、こんにちは。参加してくださって嬉しいです。楽しくのんびりとやってゆきましょう。

[]再読『百鬼夜行抄』

有沢さんとこと響子さんとこで話題の今市子『百鬼夜行抄』を読み返しております。

私もミニサイズ妖怪の尾白と尾黒はだいすきで。司ちゃんは初めはくらーい女の子だったのに、ナチュラルに傍若無人化してますね。このトリオはおもにギャグ担当?

このシリーズ、はじめのうちは主人公・飯嶋律のすこし暗めの生い立ちが掘り下げられていくところにわくわく(?)を感じていたのですが、最近の私の興味は飯嶋蝸牛(つまり律のおじいさん)のほうに移りつつあります。この世ならぬものが見えてしまう力のせいでかなり暗い運命を背負っていた人のようですが、この人の影響が多かれ少なかれ飯嶋一族中に残っているのを、あるときは大きな事件の中にあるときはささいなエピソードの中に見つけるのが楽しいのです。11巻のおばあさんとのなれそめ話はたのしかったー。

人間の弱さとか業とか、妖怪話にはつきものの暗い要素が話の骨格をなしているのは確かなのですが、味付けにコミカルなところがあって、くすくすと笑えてしまう。絵がとても上手なのも、ポイント高いです。特にカラーが美しい。

ところで、妖怪話はわたしにとっては怖さを感じるツボからはずれているらしく、このたぐいの話でこわくて読めないと思った話はあまりありません。そんな私がいままでで一番怖いと思ったのは『耳なし芳一』、ついで『恐怖新聞』、さらに『火の鳥』のどれか忘れた編、そのつぎは夢枕獏の『歓喜月のパヴァーヌ』です。共通点は……肉体的に痛いってところ?

[]フィオナの海

霧で思い出すのはまず一番にこの映画。

赤ん坊の時にゆりかごごと波にさらわれて行方不明のままだった弟の姿をかつて住んでいた小島に見かけた女の子が、ボートに乗ってこっそり島に渡り一生懸命探すというお話なんですが。

北の自然のなかでの暮らしと、過去から息づくアザラシの精であるシルキーの伝説が、静かに淡々と描かれていく映画だったと記憶しています。

これを見たときは、とにかく、北の海をくるむように覆いつくす白い霧の映像が印象的で。視界がすべて白というのはあまりにも非日常的で、闇につつまれるのよりもある意味では現実からの遊離をつよく感じるものかもしれません。霧には魔法が混じっているような気もするし。

原作はスコットランドが舞台なのだけれど、映画ではアイルランドに変更されているらしい。

アマゾンでみたら、レンタル用のものすごく高価なVHSビデオでしかなくて、残念です。

原作はこちら。

ロザリー・K・フライ『フィオナの海』

ASIN:4087732517

2004-06-17

[]歓迎

文月さん、それからこちらでご挨拶をするのが遅れましたが瀬戸見さん、いらっしゃいませ。お仲間になっていただけて嬉しいです。

仲間が増えると自分が何にもしていなくても活動しているように思えるのが不思議です。

[]霧

霧で印象に残っているのは『フィオナの海』という映画です。

少し前のスコットランドが舞台だったかな。えーと、あらすじを書きかけたのですがいきなり用事ができたので、つづきはのちほど。すみませぬ。