響子さんの書斎 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2004-11-24

[] 2004-11-24 - 響子さんの書斎 を含むブックマーク

冬木さん

 毎回、冬木さんの深い洞察力にはハッとさせられます。冬木さんの読書感想を読むと、物語を深く味わってこの面白さをなんとか伝えようという愛と洞察の鋭さが感じられるんですよね。

(失礼ながら、響子さんは、わりとそういうタイプ寄りの書き手のような気がします。そういうギリギリの危ういところから『ロマンチック』を生み出す人なのではないかと。響子さんは、ものを書くとき、霊媒のように、巫女のように、深く自分の中に潜りこんで、そこから何か美しい、光るもの(=ロマンチック)を拾い上げてくる――そんな印象があります。でも、どうぞ、あんまり深く潜りすぎてうっかり命を削らないで下さいね(^_^;))

 どうしてそんなことまで読み取ってしまうのだろうかと今回もびっくりしちゃいました(^_^;)。

 たしかに詩を書くような精神状態で長編を書いているかもしれません。日常生活をおくっている意識のままでは小説は書けないです。創造の源泉は人類共有の井戸(無意識)にあると思っています。そこまで潜っていくために、意識をチェンジさせなきゃいけないのが難しくて、なかなか書ける状態にならないのが困りもの。

 闇の水底に落ちた心の破片を拾い上げて、それが月の光にきらめいているイメージ。私は、そういう美しいものに涙する感覚を表現したいなぁ。それは私だけでなくみなと共有できる感覚だと思うのです。

 ただ、イメージに近づこうとしてあまりにも深く潜りすぎているから危険だと友達に言われるんですけどね。今書いている小説で異界の空気を出そうと頑張りすぎて、異界を五感で“視覚化”するまで潜ってしまったみたいで、夢から覚めても変なものが見えたり、獣臭かったり、やばかったです。幻想に喰われてしまうところだった。幻想を書いても、それに振りまわされてはいけないと肝に命じました。

 魔術師がなぜ魔法円を描くのかというと、デーモン(無意識)に喰われないために適切な距離をとるためなんですよね。無意識に対して魔法円なしにふみこむと、この世とあの世の境目がつかなくなって、精神に異常きたしちゃう恐れがあるんです。と、本に書いてあった。で、私の変な体験は無意識との間に境目を作らずに無防備に無意識の水に潜ってしまったせいじゃないかと推察してます。これが異界のシーンを書き終えてからは、何も変なことはおこっていないんですよね。これからも、魔や鬼などの異界のものや本物の魔法に近づこうと頑張っちゃうと思うんですけど、魔法円をイメージして呑みこまれないように気を付けます。みなさんもこの世ならざるものを視覚化して書くときはお気を付けください。


 私も、18歳になるまでは長編を書く力がなくて、大学ノートにお話の断片だけを書くことしかできなかったんですよ。高校三年生の時に螺旋をテーマにした物語を書こうとしたけど、小説のカタチにできなくて、詩のようなものを書いたのが最初でした。その後に初めて10枚ほどの掌編を書き上げました。それが、茉侖書房に載せている『清浄の月下』のプロトタイプだったりします。このころから文体の雰囲気も書き方もあまり変わっていないですね……。

 100枚の中編を構成が無茶苦茶でもなんとかエンドマークをつけられたがの20歳の頃。21歳の頃に『黄金林檎を護る竜』、『塔の中の姫君』の短編を書き上げ、150枚の『永遠の誓い』が今のところ最高記録ですね。その後、二次創作でラブコメばかり書いてました(^_^;)。30代になってから、長い沈黙を破って、ふたたび小説が書けるようになったんですよね。たぶん長編を書ける技術はもうついているかなぁと思うんだけど。

 そんなわけで私は、早熟な天才ではなかったですね。一緒に茉侖書房で書いている友達は高校生の頃から、ちゃんと面白い小説を書いていて、それを羨望の眼差しでみていましたから。

 創作方法をレクチャーした本を何冊も買って、創作技術を身につけようと勉強したり、物心ついてからずっとたくさん本を読んできたことは、いつか物語として実を結ぶだろうと思う。時間がかかっても。

上達が早い人もいるし遅い人もいる。私はカメですから(笑)、ウサギのようには早く走れません。時間をかけてじっくりと熟すタイプなんです(笑)。