響子さんの書斎 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2005-03-13

[]物書きは胡蝶の夢をみるか 物書きは胡蝶の夢をみるか - 響子さんの書斎 を含むブックマーク

 ゆめとうつつの境目には後戸の食人王が立っている。ゆめの意識に降るにはうつつの意識をこの境目に立つ食人王に食べられなければ生まれ変わることはできない。そして蝶が変身《メタモルフォーゼ》するように、意識は変身し変容し転換し変成する。

 そのとき人は胡蝶の夢*1をみる。

 

 えーと、こういう肩の凝る書き方はやめて普通に戻します(汗)。後戸の食人王については、中沢新一の『精霊の王』が刺激的で面白いことを言っています。物書きだけでなく、芸能全般に深く関わっている後戸のカミが「宿神」なのです。

 物語を書くときは、意識が変容すると、私は創作について語る時よく口にしてしまうのですが、この本を読んでいると、芸能にたずさわる人は意識を転換し変成することで、ものを産みだすようです。それって、まるで死んでよみがえるようなもんじゃないのか。蝶みたいだと私は思ったんですよね。うわー、冥府降りの神話みたい、ドキドキ。

 なんだかね、自分だけ一人わかって興奮して、わかりやすいように説明しない人ですよね、私って……(汗)。でも、こういうふうに物語をとらえた方が、太古の海の羊水にくるまれた荒ぶる魂を呼び覚ます気がするんですよ。魂に直接働きかけることが大事だと思うのです。それを失念してしまったら、きっと物語は死んでいるだろうなと思う。

 

 

 心と同時に技も必要で、どちらか一つでもうまくいかないのですが。心を忘れた技では、人の心を打ち、羅万象に響かせることはできない。うどんの生地を踏む職人さんが、「足で踏むんじゃない。心で踏むんです」と言われていたんですが(旅行番組だったと思うんだけど)、その言葉に感銘を受けました。

 私が心と技がバランスとれているかといえば、技が心においついてないです(汗)。それで辛いなぁと思うことが多いです。

 

 食人王の深淵に続く顎《あぎと》に噛み砕かれるのが怖くて、私はなかなか書くまで腰が重いのかなと思ったり(汗)。意識がメタモルフォーゼしてしまえば、産みの苦しみが快感になっていくんですが、それまでがしんどいの。こうやって書き散らかしているのも実は逃避だったり(汗)。なんで私ってこんなんだろうとがっくりきてたら、夢枕獏さんも『陰陽師 鳳凰ノ巻 (文春文庫)』のあとがきで、「脳がとろけて鼻の穴から流れ出てしまうぐらい考える。ただそのことを考え続ける」、「その作業がどれだけしんどいかよくわかっているので、ついつい、理由を見つけてはその作業を先のばしにしてしまうのである。これで、しめきりのほとんどの時間を使ってしまうのである。」と書かれてあって、プロの作家さんも同じなんだなと思って親近感が(笑)。

 

 書いているときばかりじゃなく、仕事しているときもトイレいっているときも風呂はいっているときも食事しているときも読書しているときも、日常のなかで気がつくと物語のことばかり集中して考えている時。ひたすらひたすらそのことだけを一念に考えていて、ふと気を抜いたとき(風呂はいっているときとか)にピカっと閃くんだよね。あと読書していて、ヒントがみつかるときもある。そういう状態のときって書いていないときでもどっぷりと無意識の海(物語)に浸っているんですよ。

 

 書くときの感覚は人それぞれだと思うんですが、冬木さんの「無意識のほうが勝手に自分の中まで泡のように浮かび上ってくる」のもわかる気がします。ふいに浮き上がってくる時ありますね。詰まっているときに、ぶくぶくと浮き上がってきた泡が弾けるみたいに、キーになる単語が浮かんできて、そのぽつぽつと湧き出た単語を組み合わせるうちに文章になったり。文章がいつのまにか詩みたいになってたり。面白いなぁと思うのが、私がメタモルフォーゼしちゃう時ってだいたい詩があふれだした時です。昨日も書いていたら、ふいに『梁塵秘抄』の「舞へ舞へ蝸牛」の唄が流れてきて、その唄を書き写しているうちにあちらにいっちゃったらしくスラスラと文章が流れてきて。あの脳内麻薬が出ているような興奮をともなう感覚になると無敵状態になるんですが(遠い目)、滅多にならないです。コントロールできたらいいんですけど。そういう方法があったら知りたいです(切実)。

*1:荘子が、蝶となり百年を花上に遊んだと夢に見て目覚めたが、自分が夢で蝶となったのか、蝶が夢見て今自分になっているのかと疑ったという故事

LovieLovie2011/10/02 00:03Yo, good lokoin out! Gonna make it work now.

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2005-03-06

[]私の原風景 私の原風景 - 響子さんの書斎 を含むブックマーク

 冬木さんの夢の旅、とても心惹かれるイメージですね。私までも既視感を覚えてしまうような。

 自分はそういう印象深い夢は滅多に見たりしないです。灰色の世界で魔物に追われる夢はしょっちゅう見ますが(汗)。あと見知らぬ街で帰り道を探してさまよう夢とか。これはそのときの自分の心象が夢になっているんだと思うんで、原風景にならんです。

 読書体験では、白雪姫の「雪のごとく白く、血のごとく赤く、炭のごとく黒く」と王妃が産まれたばかりの白雪姫に呪をかけるところが鮮烈に印象に残っています。自作品で、姫君が指を針でついて血が白地の布に散るのをみて、幼い頃の雪と血、白鳥と薔薇、白と赤に彩られた誓約を思い返すシーンは「白雪姫」の冒頭イメージからきてます。に惹かれるのも、この「白雪姫」や「は生きている」などの西洋のおとぎ話がバックボーンにあるのは間違いないです。

 あともうひとつあげれば。小学四年生の頃に手に取った「アンコールワット」の本にあったエピソード。おぼろげにしか覚えてないんですが、王女が嫌疑をかけられて神明裁判*1を受けることになるんです。王女は凛として立ち、微笑むと、炎のなかに躊躇もみせずに飛び込む。すると炎は王女を焼くこと叶わず、服を脱ぎ捨てるように白い鳩に変じた王女は青空へと飛び立っていく。それがまるで私の目の前でくりひろげられた光景のように鮮烈で。心に焼きついてしまった。炎と乙女、白鳩。青空。

 自作品にも似たシーンを書いているんですが(生贄として捧げられた白い乙女たちが炎のなかに身を投げると白い牝鹿となって駆けていく)、そのシーンのイメージの源泉はここからきているんだと思う。また、この炎の中からよみがえるイメージはあまたの神話、伝説、物語で、詩でうたわれている。

 イメージの源泉は、自分が読んできた雑多な本たち、多くの物語、歴史や神話や伝説が無意識の海のなかに深く深く沈んでいる。そのイメージを汲み取って、物語にしていく。それは巫女が神を降ろすのに似ていると思う。物語の語り手とは無意識のイメージを操る魔術師。真実に嘘を混ぜて、幻想をみせる。ファンタジーなど幻想が命の物語を書くときは、どれだけ無意識の海に潜ってイメージを引き出せるかだと思うなぁ。文章からあふれだす雰囲気は、技術的なことだけでなく、無意識との接続次第なのかも。少なくとも自分はそうです。でも、そういう精神状態にもっていくのがしんどいので、書くことからついつい逃避しちゃうんだけどね。すんなり海に潜れたらいいんだけど(^_^;)。

*1:決闘して勝った方が無実とか炎の中でも無事ならば無実とかそういう無茶苦茶な裁判の仕方

DreamaDreama2011/10/02 14:48How neat! Is it rellay this simple? You make it look easy.

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2004-07-15

[]魂と脳 21:32 魂と脳 - 響子さんの書斎 を含むブックマーク

有沢さん

魂論、面白いですう(>_<)。自分が考えていたのと似たことを考える人がいるというだけで、わくわくしちゃいますね。

『シャーマニズム』(ミルチア・エリアーデ著)を読んでいたときに、ある地方では、魂は世界樹に溶けこんでいくというのがありました。そして、ふたたび魂が実になって地上に降りてくるんだったかな。大霊と考え方は一緒だと思います。

『カミとヒトの解剖学』(養老孟司 著)にも魂論があって、こちらも興味深いですよ。ヒトが死んだ時がいつかなんてわからないもんらしいです。心臓が止まっても、脳の機能が停止しても、細胞はまだ生きている。小野小町の死体が九相を経ていく過程を描いた絵巻(九相詩絵巻)を見ると、肉体は腐っていき、犬や鳥に喰われ、骨となっていく。確かに死体は、もう目をあけて微笑むこともなく、喋りかけてくることもなく、抜け殻のようにみえる。だが、息をひきとってからも、体のすべてが機能を停止したわけではない。では骨になってしまったら、そこで死ぬんだろうか。でも、骨も生きているんだよなぁ。

……骸骨が喋ったり笑ったりする話は世界中でいっぱいあるね。腐った体で動き回るゾンビとかもいるな(;^_^A アセアセ…。昔の人にとっては、息をひきとったからといって、それが死の時ではなかったんだろうね。

こう考えてくると、死の時がいつかわからないわけで、じゃあ魂はいつ抜け出すんだろう?

魂は脳が産み出したものなら、脳の機能が停止したときに消えていくのかもしれない。それを考えると恐い。

コニー・ウィリスの『航路』を思い出す。臨死体験の話なんですが……途中で驚愕の展開をみせます。脳の機能が止まっていくときにみる情景を美しく切なく描いて見せて、涙なしでは読めません。でも、最後に救いがあるから、ほっとした。本当の消滅なんて耐えられないんだよ、やっぱり。

人が死んだらどこに行くかなんて、永遠にわからないんでしょう。だから、人は宗教というお話を作るんだろう。それは残された人にも必要なんです。死を迎えた大切な人が極楽でやすらかに暮らしていると、自分も死んだら会えるんだと、そう思わないと辛すぎます。

旧人であるネアンデルタール人の骨が発見された洞窟に大量の野の花の花粉が出てきたとあって、それを読んだとき、こんなにも遙か古代から人は死者に花を手向けてきたのかと思うと胸が詰まりました。そのときの今はもういない人の気持ちに共感して、泣けてきます。

自分の脳は自分の世界だけを見ているのではなくて、自分以外の人や獣、虫、鳥、微生物たち、地球の生命のすべてに思いをはせて、泣けるのだと。あのね。人と獣の神話を読むと、その失われた獣と人の関係の美しさに涙がでそうになる。あれれ。話がどんどん飛んでしまっている。何がいいたいのかわからなくなったよ(^_^;)。

えーと。死を通して、みえてくることってあるよね。ということが言いたかったのかなと思う。それは言葉にならない涙とともにあふれてくる感情なのです。むむ。知で追求しようと思ったのにいつのまにか情に転じてしまっているな。


魂と脳についてはまだ語り尽くしてないんですが、長くなりすぎたのでまたの機会に(と私がいうと永遠にそんな機会がこなかったりする)。